ピッコロの知恵袋

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派遣で働く50代子無し主婦のブログです。派遣辞めたい~~

私を支えてくれたのは派遣の仲間と社内便の方。3年満了まで耐えた地獄の派遣先の話⑥

いくら 昔短期の仕事でお世話になった社員のデコ美さんから声をかけてもらって

長期の派遣で入ったからといって

それだけがここまで耐えて3年頑張る理由ではありませんでした。

 

それだけだったら多分半年も私の精神力は持たなかったと思います。

 

なぜ頑張れたのか、我慢できたのか

1つは、私が入って2か月経った頃、その職場では年に3回ある繁忙期に

短期の派遣の人たちをたくさん雇い入れ、大量の業務をこなしていたのですが、

その短期の派遣の方の中に一人、なんと

14年前に私が短期でこの会社で働いていた時に一緒に短期で働いていた

ポム子さんが居たんです!

 

もう!!びっくり!感動!

14年ぶりに会ったけど当時と変わらない明るく気さくなポム子さん。

14年の隙間なんて一瞬でふっとび、

なつかしさであっというまに昔のように色々話すようになりました。

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聞けばポム子さんは、この会社の年に3回ある繁忙期には必ず短期の派遣スタッフとして来て、多数の派遣の人たちをまとめるリーダーを10年くらいやっているとのこと。

 

ポム子さんはもちろん、短期で昔来てた時の優しいデコ美さんは外の顏で

本当はとても厳しくおっかない人だというところもわかっていて、いろいろ共感しあえる話が多く、とても気持ちが和らぎました。

このポム子さんに再会できたことで、それまで全然会社で笑ったことがなかった私は毎日お腹が痛くなるほど笑い、気持ちが救われ、たくさん励ましてもらってすごく助けてもらいました。

 

ポム子さんが年に3回、それぞれ数週間ずつ短期で来るのでそこまで耐えて、ポム子さんが来る時期を楽しみに頑張るということを繰り返したおかげでなんとか耐えることができました。

でもそんなポム子さんも私が2年通った頃、この地獄の派遣先に失望して、もうここには来ないということになってしまいました。(これも本当に色々あったんですけどここでは割愛します。一言でいえばどれだけ貢献しようが派遣は使い捨てという結末)

 

それでもポム子さんは、ときどきお昼休みに私をランチに連れ出しに会社まで来てくれたりして、とにかくポム子さんが居なかったら私は絶対半年以内に脱落していたと思います。

 

それからもう一つの続けられた理由。

 

私が居たフロアの1階下に、一人無期雇用の派遣で働いているU子さんという人がいて、その方は私が入ったすぐあとくらいから、私の前任者が入って数日で2人も立て続けに辞めたこともあって、何かと気にかけてくれて、廊下やエレベータで会うと声をかけてくれたりするうちに、だんだんお話するようになって

ときどき一緒にランチをしに外のお店へ行くようになりました。

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U子さんは無期雇用で、この会社にもう10年以上いる人だったので、

完全に派遣寄りな考えの人ではなかったけど、それでもやっぱり派遣と言う立場から色々話もできて、彼女と外にランチに行ったりできたことも

随分私は救われていました。

なにしろ、フロアに派遣が自分しかいなくて、誰も味方がいない、誰も気持ちをわかってくれることがない職場って本当に孤独で辛かったので。

 

そして3つめは

会社に毎日、社内便を届けにきてくれる搬送のおっちゃんの橋もっちゃん。

おっちゃんといっても多分、年齢は私より少しだけ上なくらいでほぼ同じような世代なんじゃないかなと思いますが

この橋もっちゃんがとっても優しくていい方で、搬送物を渡すときや準備しているときなどにちょこちょこ雑談をするようになり、

毎日顔を合わすのですっかり友達のような(笑)、気楽に世間話ができる人として

随分気を紛らわせてくれました。

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仕事の愚痴などは、橋もっちゃんには一切言えなかったけど、いろいろなくだらない雑談がすごく癒しとなっていたのでした。

 

社員の人たちはもちろん、橋もっちゃんのような方を下に見ているので、橋もっちゃんが挨拶をしても、見向きもしない、答えもしない人ばかりなんですよ。

誰のおかげで、のうのうと座っているあんたたちに社内便が届くと思ってんの?!

ってほんと 今思い出してもクソ腹立つ。

 

社内の社員さん達は派遣の人とも気さくに会話してくれるような雰囲気じゃないので、ずっと張り詰めたまま仕事だけに通って居たら絶対私は耐えられなかったです。

 

この地獄の派遣先を3年間なんとか堪えて満了できたのは、

ポム子さん、U子さん、橋もっちゃんが居てくれたから。

この3人の方にはもう感謝してもしきれない、今もそんな気持ちです。

 

そりゃあの大勢の社員さんたちの中には、もちろん良い方も何人かいらっしゃいました。

でもやっぱり 私が派遣だからってどうしてこんなに壁を作っちゃうんだろうなと

感じるくらい、みんなピシャっとシャッターを下ろしている感ありまくりなので気軽な雑談なんて一度もできませんでした。

もし別のシーンで出会って居たら、いいお友達になれたんじゃないかなって思うような社員さんもいたけど

ほんと、貴族と村の庶民的な身分の差をずっと感じたままでしたので

なんとも残念ですよね。

同じ人間なのになって いつも思っておりました。

とにかくずっと切なかった。

 

こんな感じで私の3年間の地獄の派遣先の話は終わりにします。

 

そうそう、3年耐えたらいいこともありましたよ。

 

47歳以上だったか45歳以上だったか記憶があいまいですけど年齢によって受給期間も長くなるようで、

私は失業時51歳だったので、失業保険が半年間も受給できました。

そのうえ、たまたまコロナの特別措置の対象になっていたらしくその後2か月の受給期間延長となり、合計8か月間も失業保険が支給されました。

特にちょうどデルタ株大拡大の時期だったため、この8か月の失業保険はとてもありがたかったです。

 

私ももう何度も、あと残り3か月とか2か月とかって時にすら

もう耐えられない、辞めたい 誰か助けてって思ったりしていました。

でもそこまで頑張ったなら絶対3年満了した方が得なので、

3年満了してよかったと思って居ます。

 

もう無理だと思っている方も、もうすぐ満了の時期ならば出来ることなら3年満了まで頑張ってほしいです。

それか、長期でも無理ならすぐ辞める!

どちらかですよね。

 

どうせ使い捨てされるなら、少しでもその後の手当が優遇されるほうがいいですもんね。

 

今はまた、短期の派遣で働きながら今後の人生や働き方を悩んでいる私ですが、

正直言って 派遣はむなしくて嫌だけど だからと言って社員になりたいとはみじんも思わないんですよね。

どうしたいんだい、私・・・💦

 

いつになったら答えが出るのだろう~。

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